P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

「ゴールド 金塊の行方」(ちょいネタばれあり)


映画『ゴールド/金塊の行方』予告編
予告編のサムネイル画像(とは呼ばないのか?)でマシュー・マコノヒーが半ハゲづらを晒してますが、劇中では更に恥ずかしい、映画「J・エドガー」のディカプリオまであと少しなメタボブリーフ姿まで晒しています。

話は80年代はじめのアメリカに始まります。マシュー・マコノヒーが演じるのは、鉱物資源開発会社ワショーの社長、ではなくてその社長の息子ケニー。社内で彼女へ金の時計を贈って口説いているダメそうな息子です。80年代といえばレーガンアメリカの夜明けとか言っていた景気のいい時代ではありましたが、残念ながらワショー社が迎えていたのは夕暮れの方でした。社長が亡くなったワショー社はケニーが社長を継いだものの80年代末には知り合いの酒場で電話営業をしている始末。倒産を避けようと奮闘するケニーに訪れたのが、インドネシアで金鉱が見つかるという不思議な夢。これでかつてインドネシアで銅の鉱脈を発見して一時、鉱物資源開発業界の寵児になったのに、その後その業界から見捨てられた地質学者マイケル。そのマイケルを演じているのがぶっとい肉厚ハムのようなエドガー・ラミレスで、マシュー・マコノヒーが演じているケニーとは全然違ってマッチョなイケメンです。

まだ付き合っている彼女へかつて贈った時計を黙って売って作った金でインドネシアに飛んだ金のないケニーがヨレヨレのスーツを着て、落ち目になったとはいえいまだに良いスーツを着てカッコいいマイケルを何とか口説き落とそうと大物ぶって話すシーンは最高にみすぼらしくて哀しいですし、マイケルの方にそんな詐欺師に騙されたりしちゃダメ、マイケル、逃げて!と思ってしまいます。そして実際、ケニーの真相を見透かしたマイケルは見下した対応をとるわけです。なのにも関わらず結局、マイケルはケニーをインドネシアの密林の中、自分が金鉱があるのではないかと思っている場所へと案内する事にします。それはケニーの情熱に打たれたからとかいう事ではなく、ケニーがマイケルの弱い部分、失われた成功を取り戻したい、切り捨てた業界の連中を見返してやりたいという思いをケニーが理解し共有していたからでした。そして現地についた二人は、ケニーの言葉に結局マイケルがとりこまれる形でハンカチに書かれた契約書を交わします。

こうして始まった金鉱探し、現地の住人を雇ってマイケルが目ぼしをつけた場所を掘りだして金の含有量を調べていくものの、いい結果は全く出てきません。ケニーがマイケルを看板として利用して集めた採掘資金もどんどん乏しくなっていく中、現地住民が雇用条件に反発、職場放棄をした上にさらにケニーがマラリアにかかる始末。そもそもマイケルは不信感を持っていた上に、金はあるから大丈夫だと言っていたのに結局、約束していた額の数分の一しか採掘資金を集められなかったケニーに対してマイケルは採掘を諦める事を提案しますが、病床のケニーはそれを拒否。それどころか残ったクレジットカードをマイケルに渡して、使える全額を使って採掘を続けろとマイケルに頼んだ上で倒れてしまいます...そして残されたマイケルは今回はその熱意に打たれたのか住民の再説得に動いてそれに成功、採掘を再開します。そして数週間後、病から目を覚ましたケニーの目の前に採掘試料の検査結果が入った封筒を持った笑顔のマイケルが...

ここから彼らの復活と復讐が起こります。そして金(キンでありかつカネ)の匂いを嗅ぎつけた連中がうようよと彼らに寄ってきます。この映画はその中をサバイブしていく二人とその友情の物語です。ですが、その最中に繋がりの見えないシーンが差し込まれ、見えない何かが裏で動いている事を示唆してきます。

これは友情と裏切りと復讐の映画であり、面白い映画だったのですが、最後の最後でちょっと悩んでしまいました。映画の公式サイトでは「実話」とか書いてますが、その実話というのは90年代にカナダで起こったものであり(金鉱掘削はインドネシアですが)、80年代のアメリカの話ではありません。勿論そんな事はどうでも良いのですが、これが実話を基にしたものだとすると、この映画の最後を復讐の成就として素直に喜んでいいのかと。業界への復讐だけで済んではいないわけだし、その事のコラテラルダメージ、巻き添えにあう犠牲者達も映画がみせている事は製作者たちもそのあたりはちゃんと理解しているという事なんでしょうが、あのラストも事実に基づいているのかどうか。完全なフィクションならまああれもありかなと思わなくもないのですが、なまじ「実話」に基づいていると言われるとどうにも気になってしまいます。